//「ダメだ」と思ったら「勝てる場所」を探せばいい―「戦略的思考」で切り開いた起業家への道

「ダメだ」と思ったら「勝てる場所」を探せばいい―「戦略的思考」で切り開いた起業家への道

名だたる経営者や組織変革に取り組むビジネスリーダーには、MBA(経営学修士)を取得している人も多い。キャリアアップを図るため、MBA取得を目指すビジネスパーソンもいるだろう。日本のビジネススクールでも取得することができる学位だが、なかにはグローバルに通用する知見や人脈を求め、海外でMBA取得を目指す人もいる。アメリカにMBA留学し、M&Aの仲介会社を立ち上げた藤井一郎さんもそのひとり。藤井さんはなぜ、勤めていた大企業を辞めるというリスクを取り、海外でMBAを取得しようと思ったのだろうか。

学生時代から冷静に“自分が勝てる場”を探してきた

東京・霞が関のビルの一室に、藤井一郎さんが代表取締役を務めるインテグループ株式会社がある。通常M&Aの仲介には着手金、中間金などの料金が発生するが、インテグループは成約したときのみ料金が発生する完全成功報酬制を採用。M&A市場の拡大に貢献し、社員一人当りの成約件数は業界平均の約3倍の実績を上げているという。だが、藤井さんは最初からM&Aに興味があったわけでも、MBAの取得を目標としていたわけでもなかった。「これだ!」と思う世界に飛び込み、がむしゃらに頑張る情熱と、結果が出ないと思ったら躊躇なく軌道修正する「戦略的思考」で人生を切り拓いてきた、と語る。

それが窺えるのは、藤井さんの意外な一面だ。彼には「元格闘家」という顔がある。中学のときから柔道に打ち込み、高校ではインターハイに進むが、「柔道では日本一になれない」と判断し、ロシアの格闘技「サンボ」に転向。地元(兵庫県高砂市)を離れ、東京の大学に進学を決めたのも「サンボの道場がある」という理由からだったという。その後、努力を重ねた結果、大学2年生から3年連続全日本選手権で優勝し、大学3・4年のときは世界選手権で5位入賞という快挙を成し遂げた。
「マイナー競技であったサンボに転向したのは、『これなら日本一になれるかもしれない』と思ったからです。何事もやるからには、一番になりたいですからね。昔から『これはダメだ』と思ったらすっぱり諦めて、“自分が勝てる場所”を貪欲に見付けにいくところがありました」

日本代表として世界選手権に出場した

台湾駐在をきっかけに金融に興味を持つ

もともと人前で話をしたり、自己アピールしたりすることが苦手だったという藤井さんだが、就職活動では世界選手権入賞の経験をアピールし、三菱商事から内定を勝ち取る。入社後は自動車本部に配属され、国産自動車の輸出業務に携わり、台湾に駐在する機会を得る。そこで株や投資信託に夢中になる台湾の若者を見て、金融に興味を持った藤井さんは、金融や投資の書籍を読み漁り、自身も株式投資を行ううち、「金融業界で働きたい」という思いを強くしていった。

「社内で投資関係の部署に異動するか、金融業界に転職しようと考えたのですが、実務経験がないと難しいので、専門的に勉強する必要があると思いました。それでアメリカに行こうと思ったのですが、『行くならば学位を取らないと格好がつかないな』と思い、最終的にビジネススクールでMBAを取得するという目標に落ち着きました。三菱商事を辞めることについては、正直それほど不安はありませんでしたね。もちろん悩みはしましたが、考えたのは2週間くらいかなぁ(笑)。大企業で働くことは、自分のキャリア形成において有効なことだと思っていましたが、ひとつの会社で勤め上げたいというよりは、一歩前に踏み出して新しい可能性を掴みたい、という気持ちのほうが強かったんです」

なお、海外のMBAを受験するには、大学院レベルでビジネスを学ぶために必要な分析的思考力、言語能力、数学的能力を測るテスト「GMAT」のスコアを提出しなければならない。800点満点で、平均点は550点前後とされるが、欧米のビジネススクールに入るには600点台後半~700点台前半が必要となり、準備に数年を費やす人も少なくない。英語が得意でもなく、英語圏の国に行ったことがなかった藤井さんだが、三菱商事を退社後、約半年間の予備校通いで猛勉強し、710点という高得点を獲得。翌年にはアメリカのサンダーバード国際経営大学院に、授業料全額免除の奨学金を得て入学した。

逆境からビジネスを見いだしたシリコンバレーでのインターン

海外のビジネススクールでは、日本語でも難解な内容を英語で学ぶため、予習・復習、宿題をこなすのに精いっぱいで、ほとんどの人は睡眠不足の日々を過ごすという。またグループワークやディスカッションでは、ネイティブの学生に主導権を取られ、押されてしまうことも多いが、藤井さんは物怖じすることはなかった。それはなぜか?
「僕が行ったビジネススクールには留学生が多く、ネイティブの学生に囲まれることがなかったのもありますが、振り返ってみると、台湾で暮らした経験が大きかったかもしれません。日本はアメリカを目標にしてきた歴史があり、欧米より劣っているという価値観が根強くありますが、台湾の人達からすると、日本は目標とする国だったりするわけです。アメリカと台湾という異なる2つの視点から、日本という国を相対的に見られたことはすごく意義のあることでした。そのおかげで妙に委縮せずに済んだのかなと思います」

また、夏休み期間中にシリコンバレーのコンサルティング会社で行ったインターンで、藤井さんは人生の新しいドアを開けることになる。
「インターンがスタートしてすぐ、携わっていたプロジェクトが頓挫してしまい、自分で仕事を探さないといけない状況になってしまったんです。それで、シリコンバレーのあらゆるベンチャー企業に『日本に進出したいなら支援します』という営業メールを何百通と出しました。すると、インド人社長が起業したソフトウェア会社と契約が決まり、日本市場進出における営業・マーケティングをハンズオンで支援しました。インターンは完全成功報酬ベースで、まったくの無給でしたが、企業をサポートする仕事を心から『楽しい、面白い』と思えたこの経験が、今のM&A仲介ビジネスにつながっているかもしれません」。ちなみに、インターン先には同じビジネススクールの先輩であり、のちにテラモーターズ、テラドローンを創業する徳重徹氏がおり、今も親交が続いているそうだ。

藤井さん(右上)とアメリカ留学で出会った友人たち

シリコンバレーは、藤井さんの起業に対するイメージを変えた場所でもある。シリコンバレーでは、毎日至るところでネットワーキングパーティが行われていた。藤井さんがそこで出会った起業家のほとんどは、元は普通の会社員や技術者だったりしたことから、起業へのハードルが大きく下がったそうだ。
「会社を起業する人は、経営についてよくわかっている、特別な能力を持った人というイメージを持っていました。でも話を聞いてみると、みんな最初から経営のイロハをわかっていたわけではなく、走りながら考えて事業を大きくしていったということを知り、いつか自分も、チャンスがあれば起業できるのではないかと思うようになりました」

MBA留学で得たのは、失敗しても前に進む柔軟性と創造性

日本に帰国後は、ITベンチャーで海外事業の立ち上げに携わるが、ITの知識に限界を感じて1年ほどで辞め、その後はビジネススクールで知り合った知人が立ち上げたM&Aの仲介ビジネスに携わることになった。そこで集客方法のツボを掴んだ藤井さんは、同じくアメリカのビジネススクールに通っていた友人から、会計士の籠谷智輝氏(現・取締役副社長)を紹介され、偶然同郷だったこともあって意気投合。2007年6月に、2人でインテグループ株式会社を立ち上げた。

「私がM&Aの仕事をしていて一番ワクワクするのは、成約が決まった瞬間ではなく、会社を売却したい社長と、その会社を買収したい社長が、最初のトップ面談で盛り上がったときです。自分が引き合わせた社長同士が、笑顔で話す光景を見ることほど、嬉しいことはありません」

一時、業界トップクラスのM&Aの個人年間成約数を成し遂げた藤井さんだが、現在はM&Aアドバイザーの第一線から退き、後進の育成と、会社を成長させることに力を注いでいる。数年後には株式上場を目指しているそうだ。

「日本に帰国してからIT業界に入ったものの、志半ばで諦めましたし、ここまでくるのに紆余曲折がありました。人間ですから失敗することもありますし、見込み違いのこともありますが、そのときどきで軌道修正したり、創意工夫を凝らしたりすれば、かならず成果を出すことができる。それを教えてくれたのは、MBA留学であり、アメリカでのさまざまな経験だと思います。今につながる人とのつながりをくれたのも、起業するきっかけを与えてくれたのもMBA留学ですし、MBA留学は自分の人生を確実に変えたと思います」

自らの限界を感じても、困難に直面しても、どこかに道はあるはず――。戦略的に考えながら、ときに大胆に未知の世界へ飛び込む藤井さんは、新たな挑戦を続けている。

プロフィール藤井一郎(ふじい いちろう)1974年京都府出身。サンボというロシア発祥の格闘技で、大学2年生から3年連続全日本選手権で優勝し、大学3・4年のときは世界選手権で5位入賞している。早稲田大学卒業後、三菱商事株式会社に勤務。その後、米・サンダーバード国際経営大学院に留学。帰国後、フリービット株式会社(現東証一部)での海外事業開拓マネージャーを経て、株式会社サンベルトパートナーズの取締役に就任。2007年インテグループ株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。上場企業、オーナー企業等を顧客とし、業界トップクラスのM&A成約数を誇る。

取材・文 武田京子
編集 大矢幸世
撮影 坂本ようこ

By |2018-10-12T17:38:29+00:00September 28th, 2018|Categories: Interview|0 Comments

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