//傷心の帰郷から発起。人間らしい暮らしがあってこそ事業の道が拓ける。

傷心の帰郷から発起。人間らしい暮らしがあってこそ事業の道が拓ける。

超難関の会計士試験に合格し、大手監査法人の第一線で活躍していた井上理さん。異常な激務に疲れ果て、生まれ故郷に帰り静かな暮らしを取り戻した。

現在では会計事務所の経営者としてオフィスを3つ構え、さらなる事業拡大も視野に入れる。仕事の成功と私生活との両立を果たすまでには、どんな苦闘の日々があったのだろうか。

激務に疲れ果てて選んだ帯広への帰郷

有名私立大学卒業後に公認会計士資格を取得。日本最大級の会計事務所に入社し、第一線で活躍した井上さん。所属したのは株式公開支援部門。世界四大監査法人にも数えられる会計事務所で、上場支援などにあたる仕事は、エキサイティングで面白くもあったという。

しかし、井上さんが働いていた2000年代初めはITバブルと会計ビッグバンが重なり、苛烈な労働環境を余儀なくされた時代でもあった。過労から重い病気にかかってしまった同僚もいたほどで、井上さんも「毎日の帰宅は午前2時、3時が当たりまえ。生まれたばかりの娘の顔もまともに見られないような生活に正直、疲れ切りました」と振り返る。
そして井上さんは会社を辞めて、故郷の北海道・帯広に帰る決心を固める。同郷の妻は「驚いたようだったし、少し抵抗感はあったようでしたが、最終的には同意してくれました」。こうして2003年、井上さんは一家揃って帰郷した。

その後、井上さんは地元の税理士事務所で1年半ほど修行し、2005年に井上理公認会計事務所を開業する。
事務所は妻の実家に間借り。年収は大手会計事務所時代の3分の1に激減したが、贅沢を望まなければ生活に困るようなことはなく、職住接近で、毎日昼食を家族と一緒にとれる生活は幸せなものだった。

「ウッドデッキの組み立てキットを買ってきて自作したり、娘と毎日たっぷり触れ合ったりして、東京にいた頃とはまるで違った生活を満喫しました」
健やかな環境で家庭生活も取り戻し、疲れ切っていた心と体が癒されて、気力と体力が充実してくると、家族の将来のためにも事業を広げ、豊かさを追求したい気持ちも湧き上がってきた。

そんなことを感じ始めた矢先に舞い込んだのは、同じ帯広にある古い会計事務所の買収話だった。「知人を介して、後継者を探している会計事務所を買う気はないかと打診されたのです。迷いましたし、買収資金をどうするかという問題もありましたが、帯広で事業を営む義理の父が債務保証をしてくれることで、銀行借り入れにも目途がつき、地元の老舗会計事務所を買収することになりました」

机上の知識が役立たない経営の現場で奮闘

80歳近い所長が率いていた老舗会計事務所は、顧客数が200社前後で従業員は12名。それまで個人事務所で、実質ひとりで仕事をしていた井上さんが、30代前半の年齢でいきなりこれだけの大所帯を抱える経営者になった。大手会計事務所時代に、経営学などの知識も一通り覚え、顧客企業のM&Aに立ち会うなど一定の経験も積んでいた。自分の経営手腕は未知数だったが、それなりの自信もあった。「ところが、理論や知識と実際の経営は全然違うことを思い知らされました。人を動かすことの難しさ、職員のモチベーションを高めていくにはどうすべきか。そのために必要となる会社のカルチャーを理解するにはどうするべきか。そしてそれをどうすれば変えていけるのか――。わからないことだらけ、うまくいかないことばかりで、一つ一つが手探りでした」

必死の思いで自己啓発セミナーを受講したり、経営本も片っ端から読んでみた。そうして仕入れた知識やノウハウをもとに、社員に指示を出したり、経営の試行錯誤を行ったりした。そんな取り組みを続けても、経営はなかなか軌道に乗らなかったという。

そんなときに出会ったのが、京セラ創業者の稲盛和夫氏が塾長を務める「盛和塾」だ。そして事業の目的意識を明確にし、会社全員の考え方をその方向性に沿ってまとめ、ベクトルを揃える「フィロソフィー」の重要性を理解。「盛和塾」の教えに則り、フィロソフィーを経営に取り入れ、社員への浸透にも取り組んだ。開業後6年ほどして行ったフィロソフィーの導入で、事務所経営は徐々に上向いていく。

そんな矢先、井上さんを体の変調が襲う。「それまでの苦闘のストレスが悪かったのか、頭の中に脳腫瘍ができてしまいました。精密検査の結果、幸いにも良性の腫瘍だったため、大事には至りませんでしたが、一時期は絶望も感じました」。この経験を経て、井上さんは改めて仕事や人生について深く考える機会を得た。困難を乗り越え、人間として、経営者としての成長の糧としたのだ。

地域経済と中小企業への貢献が目標

現在、井上さんが経営するフロンティアパートナーグループ(FPG)は帯広と札幌にオフィスを展開し、東京にも事務所を構える。目指しているのは、大企業と小規模企業の中間に位置する「中小企業のためのコンサルファーム」の役割を担うことだ。

「大企業に対してコンサルティングを提供する既存のサービスはあるし、多くの中小企業は税務だけ見てくれればいいという姿勢です。しかし中小企業こそ、財務と税務を戦略的に取り組むことの効果が大きいはず。ところが、そのことに気付いていない経営者が多いですし、それを担うサービスがないのが現状です。そういった部分をFPGが担い、いずれは全国でサービスを展開できるネットワークを作りたい」というのが、井上さんの思いだ。

財務と税務の戦略的な取り組みは、日本の大きな課題である中小企業の後継者不足や事業継承問題の解決にもつながる、重要なポイントだ。だからこそ、井上さんはこう語る。「国家の課題と言ってもいい事業継承について、組織再編税制などの知識も活かして、中小企業のために仕事をすることは、会計事務所の社会的な役割でもあると思う。日本のためだと思って取り組んでいます」

また井上さんには、東京で疲れ切った自分を再生してくれた故郷に対する思いも強い。会計事務所を立ち上げた当初、地元商工会議所に仕事を求めて訪ねた際に「企業の再生支援の窓口役を探しているので手伝ってくれ」と依頼されて、引き受けた経験がある。その仕事を通じて地域経済の冷え込みを実感し、地方創生の重要さも痛感した。そこで、これまでも地元企業の再生案件を積極的に手掛け、「この分野では一番の実績がある」と胸を張れる自信がある。

自分の力を信じていれば、人との出会いや助けに恵まれることもある

中小企業や中堅企業に対するコンサルティングの実績や、財務と税務の戦略的な取り組みへのアドバイスは、地域でも評価され、現在は帯広だけでなく札幌にもオフィスがある。事業は成長軌道に乗っているが、自らの経験から従業員の労働環境にも気を配る。

社内の飲み会や運動会、社員旅行など会社行事に力を入れ、積極的に社内コミュニケーションを促している。仕事を通して、生きがいややりがいを感じてもらい、その結果として、将来を通して豊かで安心した生活を送ってもらいたいと考えているからだ。その思いはFPGの掲げる経営理念にも表れている。その理念とは、「従業員の物心両面の幸せを追求し、顧客のニーズに応え、その繁栄に貢献することにより、地域社会に貢献する」というもの。会社は経営者ひとりのものではなく、そこに集うすべての従業員のためのものでもある。そんな彼らが物心両面で幸せになることを経営の目的のひとつとしているのだ。
その一端は、スタッフが運営しているブログからも伺える。

井上さんは、大企業からの転身、独立起業、経営者としての悪戦苦闘といった経験を経て「仕事と言えども、それは人間らしい生活の一部であるべき」と考えるに至った。キャリアを捨ててIターンやUターンをすべきか迷っている人には、「躊躇しているのなら、挑戦すべき。やってみるしかない。自分の力を信じてやっていけば、出会いや人の助けにも恵まれることもありますし、その人なりの人生を歩めるようになる。私はそう考えています」とアドバイスする。

いまや北海道でも評価の高い会計事務所グループを束ねる井上さん。自ら立ち上げたビジネスで成功を収める一方で、かつて失いかけた家庭生活の幸せもしっかり確保している。さすがに昼食を自宅で取ることは、いまはできないが、週に何回も一家団らんの夕食を楽しみ、週末は3人娘の末っ子とたっぷり遊び、日々を楽しんでいる。

プロフィール井上 理
フロンティアパートナーグループ代表
公認会計士・税理士
昭和45年9月 幕別町生まれ
平成元年3月 帯広柏葉高等学校卒業
平成6年3月 慶応義塾大学商学部卒業
平成8年10月 監査法人トーマツ(東京都港区)入社
平成13年12月 公認会計士登録
平成15年1月 同法人退社、さくら税理士法人入社
平成16年6月 同法人退社
平成17年7月 井上理公認会計士事務所開業
平成20年6月 事務所移転
平成21年4月 税理士法人設立

取材・文 高岸洋行
撮影 高梨光司

By |2018-11-08T09:54:04+00:00November 6th, 2018|Categories: Interview|0 Comments

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