//雑誌編集者を経てベーグル専門店を開業。「毎日パンを焼けて幸せです」

雑誌編集者を経てベーグル専門店を開業。「毎日パンを焼けて幸せです」

東京・世田谷の京王線上北沢駅近くに、評判のベーグル専門店がある。店の名前は「Kepobagels(ケポベーグルズ)」。2008年にオープンし、ちょうど10周年にあたる今年の5月、イートインスペースを設けて拡張移転した。
店主の山内優希子さんは、雑誌の編集に9年ほど携わった後、34歳で憧れだった“パン屋さん”に挑戦。現在はベーグル作りに、店の経営に、二児の子育てに、大忙しの毎日を送っている。山内さんをチャレンジに駆り立てた「やることリスト」とは?

大学時代から心に決めた「やることリスト」

ベーグルはユダヤ人の伝統食であるパンの一種。生地にバター、牛乳、卵を使わず、成形したら茹でてから焼くのが特徴だ。ヘルシーな素材感、もちっとした独特の歯ごたえは、食事にもおやつにもぴったりで、日本でもコンビニで売られるなどポピュラーなものとなっている。

「Kepobagels」のキッチンにお邪魔して、成形の工程を見せてもらった。生地を捏ね、スケッパーで均等に切り分け、ベーグルの丸い形に手早くまとめる。山内さんの華奢な腕に盛り上がる力こぶに、重労働であることがうかがえる。でも、山内さんはこう言う。「高校生の頃からパンを焼くのが大好きで、パン屋さんになりたかったんです。今は毎日パンを焼けてすごく楽しいんですよ」

「毎日パンを焼くのは楽しい」と山内さん。うまくいかないと悔しいけれど、生地を触ると精神的に安定するという。

見事な手さばきで、あっという間にベーグルを成形。

しかし、山内さんはストレートにパン屋を目指したのではない。大学で新聞学を学び、就職はマスコミ志望だった。「私の高校時代はバンドブーム。編集者になればユニコーンやジュンスカに取材できるかも、という単純な理由でした(笑)」。山内さんは大学時代に人生の「やることリスト」を作っていた。それは「マスコミで働く」「パン屋になる」「結婚する」「子どもを産む」の順番だったという。

「リストの上から順にこなしているだけなんです。1番目がマスコミの仕事だったのは、新卒のときしかできないと思ったから。まずは出版社に入社しました」。入社したSSコミュニケーションズ(現KADOKAWA)では、生活情報誌『レタスクラブ』の編集部に配属され、インテリアや収納の記事を担当した。華やかなマスコミで大活躍!のはずが……。

編集者としての成功体験が、迷っていたチャレンジを後押し

編集の仕事を始めて3年が経った頃、縁あって台湾への移住を決める。台湾では現地の雑誌などでフリーライターとして働いた。「ビューティやファッションの記事を中国語でも書いていました。ビューティもファッションも中国語もよくわからないのに(笑)」。そして台湾に渡って1年後、帰国して再び『レタスクラブ』編集部に戻る。最初はフリーランス、その後は正社員になって5年在籍した。

台湾での経験を活かしてビューティを担当し、順風満帆に見えた2回目の編集者時代。でも山内さんは、「この5年間は辛かったですね。何やってるんだろうって」と当時の心境を明かす。「編集者の仕事は楽しかったけれど、『やることリスト』の中にまだパン屋さんが残っているのがどうしても気になる。週末にはパンを焼いていました。パン作りは失敗すると条件を変えて試したくなるんです。でも次の週末まで待たなきゃいけなくて。このまま編集者でいいのか、この年齢でパン屋を始めても間に合うのか、もやもやと悩んでいました」。編集の仕事に没入できず、編集者として成長できないとも感じていた。

スタッフは「Kepobagels」のオリジナルTシャツを着ている。胸のイラストは山内さん自ら描いたそうだ。

そんな山内さんにある出来事が起こる。自身が手がけたメイクアップの本がすごく売れたのだ。思いがけない成功体験が山内さんの背中を押す。「やりたいことがあって、それを実現するっていうのは、こういうことなんだなと実感したんです。パン屋もこのぐらい思いを込めてがんばれば失敗しないかも、と思いました」。迷いがふっ切れ、出版社を退職。京都と奈良のパン屋で1年半ほど経験を積んでから、東京に戻って「Kepobagels」を開業した。

「ひとりで100点をめざす」より「みんなで90点を取りつづける」ことが大事

ベーグル専門店に決めたのは、「もちもちした食感が大好きだから」と山内さん。「小さい頃から食感へのこだわりが強いんです。お餅、グミ、おでんのちくわぶや牛すじ、茹で過ぎたこんにゃく……もちっと硬い食感に目がなくて。ベーグルは味やフレーバーより食感で評価されるパン。ベーグルなら私にできる!と思いました」。山内さんが作るベーグルは、“皮はむっちり、中身はもっちり”が信条だ。

開業から程なく「Kepobagels」は人気店となり、翌年にはレシピ本も出版した。経営は順調で、現在アルバイトを含めて9人のスタッフが働く。しかし、当初は山内さん一人でできる店を考えていたという。「開業前になって、そんなことはできないと気付きました。焼き立てのパンを買ってもらうには、やはり売ってくれる人が必要です」。開業にあたってパン屋を経営する人たちに話を聞くと、「一人でやるとパンがダメになるよ」とも言われた。山内さんは考えを改め、スタッフを雇うことにした。

そして開業すると、山内さんは「やることリスト」に従って結婚し、長女と次女を出産。「欲張りですが、仕事だけでなく、子育ても家事もちゃんとやりたい。スタッフがいるから休まずに営業できています。父が亡くなったときも、海外視察のときも、スタッフが店を開けてくれました。自分一人で100点のベーグルを目指す方法もあります。でも、毎日は続けられない。みんなで力を合わせて90点のベーグルを作り続けることが大事なんです」

「Kepobagels」のベーグルは、オリジナルの和ベーグル(写真)、ニューヨークの製法を再現したニューヨークベーグルの2タイプがある。食パンやサンドイッチも豊富。

とはいえ、山内さんの毎日は多忙だ。通常朝4時から夕方5時まで働いているという。「子育ては仕事の前後に時間を区切ってやっています。線路の分岐器を切り替えるみたいに。その分岐器が壊れちゃってうまく切り替わらないときもありますけど」と明るく笑い飛ばす。

「独立してパン屋になりたい女性」の支援をライフワークに

山内さんの話を聞いていると、思い続けることの大切さが伝わってくる。大学時代はパン屋でアルバイトをし、編集者になってからも休日にはパンを焼き、長い休暇には海外でもパンを食べ歩いた。ベーグルの本場であるニューヨークのほか、イスラエル、モントリオール。昨年も家族でニューヨークに滞在してベーグルショップを回った。また、編集者時代は開業資金を貯めていたとも明かす。すべては“パン屋さんになる”ためだ。

「開業したときはたくさんの人たちに助けられました。だから私のライフワークは、パン屋さんになりたい、独立したいという女性を応援すること。店のスタッフは独立を目指す人を優先に採用しています」と山内さん。でも、まだまだ課題だらけだという。「いちばんの課題は私の労働時間が長すぎること。本当はスタッフが憧れるような生活をして、独立した人の見本にならなければいけないのですが、今のところなれていません(笑)」

最後に山内さんはチャレンジを続けるコツを教えてくれた。「チャレンジするには成功のイメージを持つことが大事。私の場合は、企画した本が売れた体験が成功のイメージにつながりました。女性にとってはとくに、ひとつの成功体験が大きな力になると信じています。禁煙とか、1kgダイエットするとか、小さなことでいいんです」。山内さんは今でも、うまくいかないことがあると、わざと成功体験を作ってから前に進むという。

例えば、ベーグルの生地が思うように発酵しないとき。「発酵に失敗しにくい生地を使ってベーグルを焼いてみます。膨らんだね、よかったねって自分の気持ちを落ち着けてから、前の生地がどうして発酵しなかったかに戻るんです」。この方法は子育てにも応用している。「子どもが反抗して険悪な雰囲気になったときは、好きなお菓子を買って喜んでもらいます。それで関係が回復すれば次につながりますよね。多少妥協してでも成功体験を作って、気持ちを前向きに切り替える。するとチャレンジする勇気がわいてきますよ」

プロフィール山内優希子(やまうちゆきこ) 1973年、東京生まれ。著書に『皮はむっちり、中身はもっちり 和ベーグル』(文化出版局/2009年)。「やることリスト」に付け足したいのは英会話。「ニューヨークでベーグルを作っている人と対等に話したい」。小学1年生と4歳の女の子のお母さんでもある。

取材・文 根本聡子(Sawa-Sawa)
編集 REGION
写真 高梨光司
取材協力 Kepobagels

By |2018-09-28T16:31:15+00:00August 20th, 2018|Categories: Interview|0 Comments

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