//「女性だから演じられる噺がある」ーー出版社勤務から落語家への転身

「女性だから演じられる噺がある」ーー出版社勤務から落語家への転身

数少ない女性落語家のひとりとして、2017年9月に真打昇進を果たした柳亭(りゅうてい)こみちさん。大学卒業後、出版社勤務を経て落語の世界に飛び込み、上下関係が厳しい古典芸能の世界で一心に芸を磨いてきた。

ご主人は漫才師の宮田昇(しょう)さんで、二人の男の子を持つママさん落語家でもある。漫才師と落語家の夫婦も史上初なら、二児の母として真打となった落語家も史上初。「現在もチャレンジの途上」というこみちさんに話をうかがった。

略歴1994年 東京都立国分寺高等学校卒業
1999年 早稲田大学第二文学部卒業、株式会社アルク入社
2002年 株式会社アルク退社
2003年 七代目柳亭燕路(りゅうていえんじ)に入門。前座名「こみち」
2006年 「こみち」のまま二ツ目昇進
2010年 漫才師「宮田陽・昇」の宮田昇(しょう)と結婚
2013年 長男出産
2015年 次男出産
2017年 真打昇進
「古典落語」「女性にしかできない噺」「唄と踊り」の三本柱で勝負

歯切れのよい江戸言葉に、情感あふれる語り口。観客は笑いを誘われ、ホロリとさせられ、いきいきとした江戸の浮世話に引き込まれる。柳亭こみちさんは次代を担う若手落語家のひとり。男性中心の落語界にあって、男女差を感じさせない独特の存在感も魅力で、身長148cmの小さな体が高座では大きく見える。

こみちさんに落語家の日常を聞くと、「高座は毎日のように続くこともあって、1日に7席やることもあれば、1席だけのこともある。少なくとも高座が途切れないように、自らマネージメントして努力しています。事務仕事も多いですよ。メール、電話、チラシの校正、執筆した原稿のチェック……。それからもちろん稽古。噺の稽古のほかに、若い頃から続けている日本舞踊と長唄の稽古もあります」と目が回りそうな忙しさだ。

「入門して以来、やりたいことがあり過ぎて空き時間がない」と休みなく走り続けるエネルギーの源は、「女性の落語家のパイオニアになる決意」だという。「落語協会に真打は200人もいる。代わりはいくらでもいるんです。そのなかで『こみちさんの高座が聞きたい』と言われるようにならなければ。自分で道を切り開くしかありません」と力を込める。

落語は伝統的に男性のもので、男性が演じること前提で作られてきた。とくに古典落語の登場人物には男性が多く、筋書きも男性目線で、女性の噺家にとっては不利だ。けれども、古典落語が大好きなこみちさんは、女性だからといって諦めない。正統派の「古典落語」、女性だけが登場したり、男性の登場人物を女性にアレンジしたりした「女性にしかできない噺」、唄と踊りが入る「音曲噺(おんぎょくばなし)」の三本柱を自身の落語の主軸に据え、高座でバランスよく組み合わせて、こみちさんにしかない個性を作り出している。

高座

日々高座に上がり続けるこみちさん。会社員時代の上司や同僚、営業先だった書店の人たちは、今でも寄席に足を運んでくれるという。

出版社勤務から噺家へ入門。厳しい修業にも食らいついた

こみちさんはもともと演劇が好きで、学生時代は週に10本も芝居を観ていたほど。「たまたま観たい芝居のチケットが取れなかった日があって、友人にすすめられるままに初めて寄席に行ったんです。行ってみたら、なんだこれ!と。客席に若い人が少ないし、高座にはパンチの利いたジジィがいて(笑)」。寄席に通ううちに出会ったのが、今では重要無形文化財保持者(人間国宝)の柳家小三治師匠。「世界でいちばん面白いおじいさんだ!」と感激したこみちさんは、小三治師匠の追っかけになる。

当時、こみちさんは新卒で入社した出版社で書店営業を担当していた。何事にも熱心な性格ゆえ営業成績は抜群によかったという。仕事は忙しいものの、不満らしい不満もなく、会社員生活を謳歌していた。でも、自分が夢見た道をしっかり歩んでいるかどうか、心のどこかに疑問があった。「それが、小三治師匠の落語を聞くうちに、『自分はこんなふうに生きたいんだ!』と気付いた。落語家になろうと決心したんです」。その後上司に退職を願い出ると、最初はガックリと肩を落とされたものの、「落語家になると言ったら、『夢を追うことはいいことだ!』と賛成してくれました」

出版社の営業部仲間と。前列右から2番目がこみちさん。

かくして出版社を円満退社。こみちさんは28歳で、柳家小三治の門下である七代目柳亭燕路に入門した。「燕路は小三治の古典落語をまっすぐ継ごうとしています。競争の激しい落語界で寄席に出続けている稀有な人。そんな師匠なので、昔ながらのやり方で厳しく育ててもらいました。修業時代は必死でしたね」と当時の苦労を語ってくれた。

前座としての修業は二ツ目になるまでの4年間。こみちさんは入門当初、東村山の自宅を朝6時に出て、江東区の師匠の家に通っていた。朝の挨拶からたたき込まれ、毎日が掃除、炊事、洗濯。「稽古をつけてもらえるのはせいぜい年に1回。『師匠の家を磨くことは自分の心を磨くこと』と言われ、ひたすら掃除していました。師匠の指導として、着物の立ち居振る舞いが身につくように掃除も着物でするように言われ、いつも着物で掃除していました。柳家は『手が荒れている人ほど出世する』と言われたんですよ。私も白魚の手だったのが、修業中はあかぎれだらけ。あかぎれの跡がシワになってしまいました(笑)」と両手の甲に刻まれたシワをなぞる。

帰宅は毎日深夜におよんだ。「いちばん辛かったのは寝不足が4年間続いたこと。休みが1日もないんです。体力の限界を通り越して、胃と食道と十二指腸に潰瘍ができました」。よく風邪を引くようになり、「体力がないのは噺家を廃業する立派な理由」と師匠に諭されたが、それでも通い続けるために師匠の家の近くに引っ越した。

こみちさんには「修業を止める」という選択肢はなかった。「立派な落語家になる」と固く決めていたからだ。落語家としての本当の人生は、修行を乗り越えなければ始まらない。そして、師匠とだけでなく、女将さんと関係を築くことができた修業時代は、こみちさんにとって何物にも代え難い財産になった。

「女性の繊細な心や厳しいものの見方を通して、人間というものを学んだと思います。とくに女性の落語家にとって、女将さんから教えてもらうことは重要だと思います。女将さんだって、寝る時間以外のすべてを他人である弟子と過ごすのは気疲れしますよ。師匠や女将さんも大変だから、今の前座さんは師匠の家に通わない人のほうが多いんです。でも、私は師匠から『生きていることが稽古だ。すべての経験、感情が落語になる』と言われて、貴重な経験をさせてもらいました。ものすごく感謝しています」

周りの人に応援してもらえたから、高座に上がりつづけることができた

修業を終え、前座から二ツ目に昇進したこみちさん。女性の落語家には芸を極めるために独身を貫く人も多いなか、こみちさんは結婚して二人の男の子を授かった。落語家として超多忙な日々を送るなか、子育てはいったいどうしているのだろうか。

「そもそも噺家で出産する前例が少ないんです。周りにも公言していなかったため、私が妊娠していると思いもしない方々から高座のご依頼を受け、出産直前まで高座の予定が詰まっていました。とにかく高座に穴を開けないように気を遣いましたね」とこみちさん。袴で大きなお腹を隠して高座に上がり、長男のときは産後2カ月、次男のときはわずか産後3週間で復帰した。「次男のときは出産予定日とナレーションの収録日が同じ日だったんです。陣痛を促すために歩き回ったりして、予定日より早く出産して(笑)収録に行きました」

子育てにはあらゆる手段を使っている。ベビーシッター11人(!)、母と夫の協力、区のファミリーサポート、それに周囲の女性たちの応援もあるという。「日々、綱渡りです。でも、見返りを求めずに助けてくれる人もたくさんいて、人はやさしいと身にしみて感じます。仕事と子育ての両立はものすごく大変ですよね。私の場合は真打昇進の時期に幼子二人を抱え次男も授乳中で本当に大変でした。『どうしてそこまでしてハードな道を歩み続けるのか』と思われる方もいるかもしれない。でも、私は望み通り噺家になって、好きな人と結婚して、子どもも授かることができた。その間ずっとたくさんの方々に支えられ、応援してくださったんです。そんな方々に失礼にならないよう、噺家としてもひとりの人間としても、精進していきたいと思うんです」

夢はおばあさんになっても寄席に出ること

こみちさんが古典落語を愛する理由は、江戸の町人の人間的な魅力にあるという。「古典落語に登場する江戸の人たちは、ご隠居さんも大家さんも女将さんもみんなチャーミング。私も長屋に住んで友達になりたい。彼らが生きて、暮らして、そこで起こる出来事を観客がのぞき見して、クスクス笑ってしまうのが落語の面白さ」と話す。大切にしている「女性にしかできない噺」も、江戸の人の魅力を伝えたくて生まれたものだ。

こみちさんには悔しい思い出がある。若旦那の奮闘を描いた『唐茄子屋政談(とうなすやせいだん)』は、叔父さんが話を引っ張っていくシーンの多い古典落語。「数年前にネタおろし(初めて舞台で演じること)したときは、登場人物をいきいきと描くことができず、散々な出来でした。自分の体が噺にまったく合っていなかったんですね」。そこで、叔母さんが登場する頻度を上げるなど、女性の落語家でも演じやすくアレンジした。噺の中の登場人物が大好きだから、どうしても高座にかけたかったのだ。江戸時代には女性だってたくさん暮らしていた。紆余曲折を経た今、「女性が落語を演じる可能性は無限にある」と感じている。

40代の今は気力も体力も充実している。「やっと真打になったばかり。これからガンガンいきますよ。どう脂をのらせるか、人生どう歩んでいくか。全力でやるとどうなるか、自分でも楽しみにしているんです」と頼もしい。こみちさんの夢は、80歳、90歳になっても寄席に出ているおばあさんになること。「年をとって余計なものが削ぎ落とされた後は、ばあさんのボソボソしたしゃべりを聞きたい、そう思ってもらえるような噺家を目指します(笑)」

プロフィール柳亭こみち。1974年生まれ。東村山市出身。歌って踊れる噺家、老若男女から友達になりたいと思われる噺家を目指している。独演会「落語坐こみち堂」「なかの坐こみち堂」をはじめ、日々多数の高座に上がり、ナレーション、講演、執筆、学校寄席などでも活躍中。

取材・文 根本聡子
編集 REGION
写真 高梨光司

By |2018-09-07T10:35:59+00:00July 30th, 2018|Categories: Interview|0 Comments

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