//アートと福祉で人の役に立ちたい! 介護施設職員からアートセラピストへの挑戦

アートと福祉で人の役に立ちたい! 介護施設職員からアートセラピストへの挑戦

「臨床美術」という言葉を知っているだろうか。創作活動によって脳を活性化させ、認知症の症状を改善する目的で開発された療法だ。アートセラピストの小幡佳奈子さんは、介護施設のケアマネージャーだった34歳のとき、たまたま病院で見かけたポスターで臨床美術を知り、アートセラピーの仕事に就く決意をする。
チャレンジの原動力は、学生時代に学んだ美術を通して人の役に立ちたいという思いだった。

アートセラピーでは誰もが創作を楽しみ、達成感を味わえる

色とりどりの和紙で作った鳥のオブジェ、石ころに色を塗って顔を描いた鬼の人形、ピカソ風の抽象画、紙粘土や貝殻を貼り付けた飾り皿。これらはアートセラピーのセッションに使う作品見本だ。参加者の参考になるようにと、小幡さん自身が作ったものである。「セッションではセラピストがテーマを決めて、材料と作品見本を用意します。でも、見本はあくまでも見本。一人ひとり、個性豊かでまったく違う作品ができあがるんですよ」と小幡さんは話す。

作品見本。材料には、粘土、和紙、紙皿などのほか、枯れ枝や石などの自然素材を使うこともある。

アートセラピーとは一般に、製作された絵や造形から心理状態を分析したり、コミュニケーションを行う心理療法を指す。臨床美術はアートセラピーのひとつで、おもに認知症の予防や改善を目的として開発されたもの。だが現在では感性教育やメンタルヘルス対策など、さまざまな目的で活用される場面が増えており、小幡さんは老人ホーム、企業、保育園などで幅広く活動している。

セッションは1回60分〜90分。老人ホームの場合、セラピーに参加する人数は多くても10人と少人数で、セラピストはメインとサブの2人で対応する。例えば、和紙の鳥を作る回は『夢の鳥』というテーマを設定。「最初はいろいろな鳥の写真を見せて、どんな鳥が好きですか、鳥を飼っていたことがありますか、と聞いたりします。みなさんの思い出を刺激しながら作りたいイメージを引き出していく感じですね」

製作時間は50分ほど。参加者の中には認知症の方もいれば、身体の自由が利かなかったり、なかなか具体的なイメージを思い描くことができなかったりして、作品を作れない人もいる。でも、「粘土をちぎるだけで楽しそうに笑ってくれるんです」と小幡さん。「作品の完成だけにこだわらず、会話をしながら楽しい時間を共有できたらと思っています」と言う。

アートセラピーは上手い下手を評価するようなものではない。セラピストはどんな作品にもいいところを見つけて褒める。マイナスな感想は決して言わない。

セッションの終わりには全員の作品を並べて鑑賞会を開く。「大きな鳥、小さな鳥、フラミンゴやペンギンまで(笑)、形も色もいろいろな鳥が完成します」。セラピストが感想を述べたあと、参加者が自由に感想を言い合う時間を設けている。「みんなで一緒に楽しい時間を作り出していくことが大事」と考えているからだ。

臨床美術に出合った瞬間、「私の道はこれだ!」とチャレンジを決心

「アートセラピストが天職」という小幡さんだが、ここまでの道のりは平坦ではなかった。新卒で入社した会社を辞めて数年は、何をしたいのか、何ができるのか悩み抜いた。「絵本作家を目指して専門学校に行ったり、テーマパークでアルバイトをしたり。いろいろやってみるうちに、自分はものを作る仕事には喜びを感じず、また、アートを一から作り出す才能はないと気付きました」。そして、さらに悶々と考える日々が続いた。

そんなとき、福祉の仕事をしている友人の話を聞いて心を動かされる。「福祉は直接人のためになる仕事。すごく惹かれました」。24歳のときだった。「そこで、デイケアの施設で働いてみたらしっくりきたんです。老健(介護老人保健施設)といって、医師、看護師、リハビリの専門家がいる施設でした。認知症や脳梗塞などさまざまな症状の利用者さんがいらっしゃいました」

小幡さんはヘルパーからスタート。「患者さんたちと大きな壁画を描いたり、クリスマスの演し物を考えたり、アートに関わる仕事もしました。それが楽しくて楽しくて」と当時を振り返る。そして3年後に介護福祉士、さらに2年後にはケアマネージャーの資格を取得する。

老健での10年のうち、最後の数年間はケアマネージャー専任として勤務した。「ケアマネは心から楽しいとは言い切れなかったですね。家族の苦悩、利用者同士のトラブル、裁判……向き合わなくてはならないことが重すぎて。大好きな福祉の仕事をしているはずなのに、つらくて悲しい気持ちになることも多かったのです。もちろん今では、現場だけでなく福祉業界全体の課題を知ることができて、とても勉強になったと思っていますが」

そんなある日、たまたま用事があって訪ねた病院で、臨床美術学会のポスターを見かけた。「臨床美術、という言葉にピンと来たんです。これだ!と思いました。雷に打たれたみたいに。アートセラピーなら、アートと福祉の両方に関われて、患者さんに寄り添う仕事ができる。ポスターを見たのが8月で、それからすぐに臨床美術について調べて、学校を見つけて、10月には臨床美術の講座に通い始めました」

一瞬一瞬をいい時間にしたいから、セッションは毎回が真剣勝負

小幡さんは半年ほどで臨床美術士の4級を取得。アートセラピストの活動を始めて3年になる。どのようなところにやりがいを感じているのか? との問いには、「すべてですね。楽しさしかありません」と即答する。「どの作品も素晴らしいんです。特に子どもや認知症の方は、上手に作らなきゃと頭で考えるのではなく、心のままに手を動かしているので、魂が込められている。セッションのたびに感動しています」

認知症患者には攻撃的で扱いにくい人もいる。「でも、セッションの後はとびきりの笑顔を見せてくれるんです。初めは硬い表情だった方が、セッションが始まるといい表情になって、最後の鑑賞会でちょっと照れたような笑顔を見せてくれたりしたときは、自分の作品に誇りを持ってくれているんだなぁととてもうれしいです」。参加者の中には100歳の人もいるが、参加するたびに感性が豊かになっていくのを感じるそうだ。

「認知症の患者さんは、たとえ記憶をなくしても感情は残ります。セッションを楽しみに何度も来てくださる方も、私の顔は忘れてしまうのに、ふとした瞬間にお互いの絆のような、つながりを感じさせてくれるんです。私にできるのは一瞬一瞬をいい時間にすること。だから、いつも気持ちを込めてセッションに臨んでいます」と熱を込める。

美術館でのアートセッションを目指して、学芸員の資格取得に挑戦中

小幡さんはさらなるチャレンジとして、学芸員の資格取得を目指して大学に通っている。縁あって、東京・南青山に建設中の美術館に、スタッフとして請われたのだ。現在、立ち上げメンバーの一人として準備を進めている。「教育や福祉の要素をプラスした美術館になる予定です。私は教育普及担当の学芸員であるエデュケーターを務める予定で、臨床美術を活かしたアートセッションの企画などについて、みんなで考えているんですよ」と夢がふくらむ。

実は、美術館での活躍のチャンスを与えてくれたのは、臨床美術の学校で出会ったクラスメートの一人で、人生の大先輩とも呼べる人。「それはもう感謝しかありません。後押しをありがたく受け止め、期待に応えたいと思っています」

東京・南青山に建設中の美術館の建築模型

唯一の苦労は「時間がない」ことだという。「仕事、大学、家のこと、子どもの野球部、今年はPTAと町内会の役員もやることになって(笑)休みがありません。でも、忙しいほうがかえって勉強できたりもしますね。疲れてやりたくないときも、1ページだけでも教科書を開くようにしています」

家族や友人の応援も小幡さんの力になっている。「とくに小学3年生になる息子の応援がうれしい。ものづくりが好きな子で、お母さんに美術館の仕事をしてほしいと願ってくれています。大学の単位取得に必要な試験に合格するたびに『やったー!』って喜んでくれます。チャレンジを理解してくれる夫の存在にもいつも助けられています」

「チャレンジに年齢は関係ない!」と思っていても、やはり躊躇してしまうもの。でも、小幡さんは、チャレンジはこれまでの経験があったからこそできたことだという。「今の自分にとって、福祉の仕事の経験が武器であり宝です。どんな経験も無駄ではないので、わくわくすること、好きなことをどんどんやって、その中でチャレンジしたいことを見つけたら、年齢を気にせずぜひ挑戦してみてほしいと思います。人は100歳になっても成長するんですから」

プロフィール小幡佳奈子。1981年横浜出身。両親は消防士。父はベンチプレスの世界大会で1位入賞、母は女性として日本で初めて女性で消防出張所の署長に昇進した「チャレンジの大先輩」で、いまも小幡さんの背中を押してくれている。家族は夫と小学生の息子男の子のお母さん。

取材・文 根本聡子
編集 REGION
写真 高梨光司
取材協力 栗田祥弘建築都市研究所

By |2018-09-28T16:35:45+00:00July 30th, 2018|Categories: Interview|0 Comments

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